出身は四国の香川県高松市。二人の偉大な祖父を持ってこの世に生を受けました。
父親方のおじいちゃんは四国に琴電(ことでん)という電鉄会社があるんですが、電車とかタクシーとか、さらにはバス、ゴルフ場、ホテルなどのグループ会社を経営する、いわゆる東武や西武の地方版、そこの創業者が私の祖父です。母方の祖父は銀行員。広島銀行、地銀では大きいですけど、そこのトップで日本商工会議所の副会頭だった人。その二人の掛け合わせが私っていうわけです。
「凄いサラブレッド?」と思われるかもしれませんが、ところがどっこいで、ガキの頃はどうしようもない悪だった。創業家の偉い方からすると「ついに大西家に不良が出た」と。それでも剣道だけは真面目にやっていて、ガキの頃全日本チャンピオンになった。進学校なのに毎日授業サボって好き放題やっていたけど、最終的には「じいちゃんの後を継ぐんだ」という思いはいつも心のどこかにあった。
大学は1年浪人して早稲田に入学。剣道とロックをやりながら流通のゼミを専攻。販売師1級の資格試験に合格して、大学生なのにアルバイトで1,500万円貯めました。就職は西武グループのコクドに入社。それから8年、堤義明さんの下で働いていた。海外事業とか、ホテルのホテルのコンピュータシステム関係とかやっていて、だれもコンピュータの仕事はやりたがらなかったけど、私の中では全部吸収して、ノウハウを地元に持って帰るっていう意識があったので、なんでもやりたかった。
コクドで8年間お世話になってたんですが、「さあ、いよいよ四国に帰るか」という時に琴電グループが四国で一番大きい、そごうグループの百貨店をスタートさせたんですよ。
ところが水島氏の乱脈経営によりそごう本体が倒産し、琴電グループも連鎖倒産して、うちは創業家で株券を持っていたので一夜にして全部紙切れになってしまった。父は心労で病気になり亡くなって、看病と心労でお袋も数年後亡くなり、「経営と言うのは命をかけてやるものなんだな」と。結局、帰る所は、無くなってしまいました。
これからどうしようと思って、自分の棚卸をして強み弱みを分析して、ホテル関連事業かなっと?でもホテル建てる金はないなと。じゃあ、手持ちの2,000万円で何ができるか?宴会場作れないし、宿泊施設も不可能なので、身の丈でできるレストランに至りました。
33歳で独立して、これが凄い繁盛店になった。現場でやっていく中で3年目ぐらいかな、生産者さんと直接触れ合う機会を得たんですよ。そしたら生産者さんとの繋がりが凄く心地いい。それでお客さんも巻き込んじゃった。
「仲間」「生産者さん」「お客様」の絆、これが、愛のトライアングル。
お客様がお店で食べた時の声を、生産者さんにフィードバックしてあげる。それが大事なんだと気付いた。それで生産者さんはモチベーションが上がる訳ですよ。そうすると愛のトライアングルがどんどん大きくなっていく。そうなってくると、私自身も生産者さんの苦労とか思いを分かっていないと「お客様に伝えられるわけがない」と考えるようになる。
稲刈りを手伝わせてもらって、ご一緒させていただいているうちに、とうとう仲間と一緒に自然栽培の畑まで始めちゃいました。やっぱり、自分たちで体現しないと思いは理解できないですよ。
実際に田んぼにはいり、土に触れていると「食は命なんだ、生かしてくれる命でもあり、命をいただいて命が輝いている世界」そういう尊さが、だんだん分かってくる。仲間がいて、生産者さんがいて、お客様がいる。今では、私だけでなく、スタッフや仲間にも土に触れることを体現してもらうことによって、自分達の言葉で生産者さんの思いを伝えられるようになりました。更に愛のトライアングルを大きくしていかなければなぁと感じています。
これまでも、これからも
ずっと大事にしたいのは、やっぱり愛のトライアングルかな。
こんな感じでやってるレストランなんで、やっぱり思いのある生産者さんから、旬の物がお店に届く訳ですよ。食材は箱に入って送られてくるんだけど、それは封を開けないと何が入っているかわからない、だからメニューとかレシピとか作っても意味が無いんですね。そのかわりお客様は一番いい状態の命を食べていただけるという、そういう考え方なんです。調理人は、思いは盛っても余計なものは一切盛らない。素材をとにかく活かす。
私は日本が大好きで、日本人でほんと良かったと思う。でも、次世代へのバトン渡しは非常に厳しいじゃないですか。
添加物から始まって様々な点で食の乱れは著しいと思う。「食と教育の乱れを戦前に戻したら日本は再生できる」っていうのが、私の持論なんですが、自分が教師になることはできないので、食を改善していくのが役割なのかなって。
そうしたらある日、聖路加国際病院さんから「妊婦さんの給食をやらないか」というお声をかけていただいた。「出産してからも体調がいい」というお声を数多く頂き、『自然回帰』の食事はなぜ良いのか?病院側が科学的なアプローチで解析してくれた。そういう事の積み重ねで、信頼をいただけるようになった。でも、そのまま退院して終わりなら、もったいない。子供たちにも正しい食を習慣化していく仕組みを提供したい。そう考えて行き着いたのが「妊婦さんの食育」。食育セミナーをするにあたって、私自身も本を読んだり色々と勉強したのですが、不自然なことばかり目に付くんですよね。「あれは食べたら駄目」、「これを食べるとどうなる」というものばかり。「ハンバーグが食べたいと思ったら食べに行ってくださいね」と言っているんです。そこを我慢したら正食は続かないですよ。
私の子供がサッカーをやっているんですが、お昼は公園の近くってコンビニ弁当を買うくらいしかない。そこでコンビニ弁当を買うわけです。添加物がたくさん入っていて「うわー」って思いながら食べる。でも、命たちと向き合う瞬間に、そんなこと考えながら食事するのはお互いに不幸、一番身体に良くない食事の採り方だよって伝えています。添加物弁当でも感謝しながら頂ける心と、添加物にも負けない免疫力を、日頃の正食習慣により身につけることが大切では。
私の本業である「外食」が提供する究極のテーブルサービスこそが、効率よく的確にお客様に思いを伝えることができるものと考えていて、これまで自分の意識では「外食」がメインだったんですけど、今年から正しい食の普及業っていうのを「正食」と謳って、本格的に力を入れて取り組み始めました。「整える」、これは知人の会長さんの良く使うお言葉なんですけど、私も「整う」ことって凄く大事だなって。整えることの基本になるのは、基本的日常生活の正しい習慣化だと思っているんですよ。特に毎日の食の習慣っていうのは凄く重要だと思うんです。「正食で日本を整える」、皆がそれぞれの立場で、もっと食を「見える化」していって、それを正しく習慣化していくことで、日本はもっと根底から変われるんじゃないでしょうか。
日本の食世界を語る前に、現状の安く売らんが為の添加物戦術、マスコミ主導の工業製品化した命のない食物のPR等の食への冒涜に、非常に悲しみを感じる。消費者の使い勝手、利便性は重要であるが、効果効能を切り口に、消費者を誘導する戦略には疑問を感じる。そして、それにおどらされる消費者意識も残念だと感じる。
自分の人生の師匠は、「お掃除の神様」である鍵山様。自分も毎月街頭清など日本を美しくする会の世話人として、鍵山様の後ろ姿から学びを頂戴しているが、鍵山様のスタンスは、ただただ目の前の汚れを美しくする事。生涯かけても私淑する師匠の人間力の足元にも及ばない自分であるが、次世代に大好きな日本の繁栄を願いながらバトンを渡したいと願う心にブレはない。食糧危機も含め、この10年が勝負と感じている。心ある仲間と連携して、次世代に食のインフラをきっちり残して生きたい。そんな思いの中で大きなポイントと感じているのが、「学校給食」だ。給食には食育の要素が、一杯詰まっている。地産地消・身土不二の世界で、子供達に地元の生産者さんが責任と志を持って、地元の宝を育む世界、素晴らしいですよね。愛のトライアングルの方程式は、様々なシチュエーションで場を幸せにする力を持っていると、信じています。
「愛の伝道師」として、正食の普及に命をかけて生きます。大好きな日本の未来を祈りながら、食の大切さに気付く日本人が一人でも多く増えることを願いながら、暑苦しいお話を終わらせて頂きます。
大西礼二 (おおにしれいじ)
1965年 香川県高松市生まれ。
早稲田大学卒業後、コクド(西部鉄道グループ)を経て現職。
株式会社 自然回帰 代表取締役社長
都内に4店舗自然派レストラン展開。
聖路加産科クリニック様妊婦様向け給食事業。
食育事業。中食事業。宅配事業。農業事業。など。
趣味は、音楽(プログレッシブロックの現役ドラマー)
妻、一男一女。東京都江東区在住。