自然栽培、食、生命、地球のこと

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ハミングバード

自然の力を生かして、人の健康と里山の自然を取り戻したい。

人生はオムツで始まってオムツで終わるもの?

鴇田美里(姉):高校卒業後に、理学療法士の道に進んで、福島県の総合病院に就職しました。私がしていた仕事は、リハビリテーションといって、病後に障害を抱えて生きる方のお手伝いです。毎日、脳梗塞で入院する患者さんがいて、糖尿病の薬は血糖値を下げるだけ…治すものではないので飲み続ける。「今の医学では病気は治らないのだ」と思いました。ある日突然、身体が思い通りに動かせなくなり、介助が必要になる。それが当たり前にある環境でした。「こんなんだったら死んだほうがよかった」と泣きながら言う人がいました。老人保健施設では、「いつ(最期の)迎えが来るんだべ、早く来てほしい。」と言って、車いすや介護を受けつつ自宅生活する方々を見ました。ある利用者の方に“人生はオムツに始まってオムツに終わる”と言われたとき、やっぱりそうなのかなって、ショックでした。そんな時、遊びに行った友達の家で、ミスユニバース・ジャパンの栄養コンサルタントが書いた本を読みました。そこには“美容のために、精製されたお砂糖や穀物はとらない。主食は玄米。”と書かれていて、実施すると、カラダに変化がありました。これはすごいと思って、食に興味が湧いてきて、それをきっかけに、いろいろ調べて、食養やマクロビオティックを知りました。自分の身体で試してみたら、ニキビはなくなる、喘息も神経痛も出なくなると、食の変化はすぐに身体の変化に表れました。見た目の若さは、内臓の若さを表しているそうです。美容も病気も食からだと分かってきました。これで、オムツで最期を迎えなくてもすむかもしれない、と思いました。

鴇田美穂(妹):私は弘前大学の農学生命科学部に入って、農と生物学を勉強しましたが、自分には機械を扱うような器量もないし、ばりばり動けるわけでもないし、実家で農業をやりたい気持ちありましたが、3K(キツイ、汚い、危険)、そして稼げないと言われる農業…私にはできないな…って諦めていました。なにより、農業は虫と雑草との戦い!と教わり、自然を汚して生産している現状も知って、魅力を感じることができませんでした。生き物が大好きだったので。そんな時に、美里(姉)がきっかけでマクロビオティックや食養を知って、食の大事さとか命の大切さが身にしみてわかるようになった。 身土不二(地場の物を旬のときに食べる)、一物全体(素材をまるごと食べる)という食が健康にも環境にも良いということ、そういう食が楽しく豊かだということに気づいた。私たちの毎日の食が、今の農業の問題や、飢餓とか絶滅する動物とか、そういう現状に繋がっていて、食が変われば世界は変わるかもしれないと思いました。そして食の大切さから農の大切さを改めて考えるようになったのです。

自然の力を生かす 植物のお手伝いをする

鴇田美里(姉):食べ物で治療する半断食道場にも通いました。すると、食べ物に感謝するようになっていました。その頃に美穂(妹)から「木村秋則と自然栽培の世界」(日本経済新聞社)という本を渡されました。小さい頃から身近にあった農業は、この時期にこの肥料を入れて農薬を撒いて…というように化学肥料や農薬とセットだったので、難しくめんどくさいものだと思っていました。でも自然栽培を知って、すごくおもしろい世界!って思いました。人間の身体も宇宙だし、野菜とか土とか全部そうだったんだって、いろんなものが自分の中で繋がった。

鴇田美穂(妹):木村秋則さんのことは大学の時から知ってはいたんですが、食の大切さを考えるようになって初めて本を読んでみようと思いました。そしたら、自然栽培は“自然の力を生かす”とか、“植物が育つお手伝いする”ことだと書かれていた。そういう農ならやりたいと思えました。自分たちの生活を振り返ってみると、小さい頃は蛍がいっぱいいたのに、ある時から一気にいなくなってしまった。自然のこと農村環境のことに関心があったのに何もできないまま、企業に勤めてお給料をもらって、そのお金を消費する毎日を送っていて…。一方で木村さんみたいに命をかけてやってきた人がいる。やらなきゃ!と素直に思いました。そんな中で実家にいる美里(姉)が手探りでやり始めていました。美里すごい!私も早く一緒にやりたい!って思いながら青森で過ごしていました。それが一昨年のことです。それから、加美町の長沼さん(自然栽培生産者)たちに出会えて、父と母も自然栽培のことを理解して一緒にやってくれて、去年の収穫からは、自然栽培米を販売することができるようになりました。今は、「泉ヶ岳ふもと すずめ農園」としてイベントやマルシェで自然栽培米やマクロビ弁当やや玄米キッシュなどを販売したり、すずめ農園での野良しごと体験イベントや勉強会などを開いたりしています。

鴇田美里(姉):今はまだ、いつでも気軽に自然栽培のものを食べられる、というふうにはなっていないと思うので、そういうところでお役に立って、美味しく食べていただけたらいいなと思います。去年の冬から、販売やイベントに取り組むようになって、今まで多くの人に応援していただいて活動することができました。そのことがとっても嬉しく、感謝の気持ちで前に進んでいる感じです。

地球のためにおもいっきりやってやればいいじゃん!

鴇田美穂(妹):自然栽培の勉強会に参加させていただいたり、今年は宮城県の「こせがれネットワーク」という若い担い手のグループに参加して、地元の生産者達さんともつながることもできました。私たちの軸である自然栽培を実践しつつ、県内の生産者として宮城の食とか農業を、どうやって盛り上げいくかをみんなで考える機会をいただいて、ご縁の輪が広がっています。

鴇田美里(姉):いろんな機会に出向いても、今はまだ実績が伴ってないので、もっと畑とか田んぼに時間をかけたいと思っています。無肥料無農薬だけど、自然の力を活かす、実りある自然栽培は、まだまだ出来ていないと感じています。いつも発見があって知ることがあって、勉強中です。大げさなことを言うようですけど、未来に食べ物の実る土地を残したい。生産者の方がそういう作り方をして、消費者の方が選んでいけば、きっと出来ると思います。以前、美穂(妹)が「地球カレンダーって知ってる?地球の一生を1年間365日に当てはめて考えた時に、人類って12月31日の23時30分に現れたくらいの歴史しかない。人間ひとりなんて地球にしたらちっぽけなものなんだよ」って言うんです。だから自然栽培とかマクロビとか、そんなに頑張らなくていいよ!って言うのかと思ったら、「それなら地球のためにおもいっきりなんかやってやればいいじゃん!」って言い出すから、すごいびっくりした(笑)。“Think global, Act local”(地球的な視野で考え、身近なところで行動せよ)を意識して動くようになってきました。
自分はこれしか出来ないけれど、それが地球に、未来につながっていったらいいなって考えるようになったのは、美穂(妹)の影響です。病院に勤務している時に、患者さんと一緒になって悩んできて、その解決策が難しいことじゃなくて、食とか、その根本にある農とかにあるなら、どうしても伝えなきゃ!って。

鴇田美穂(妹):地球カレンダーを知ったとき、私たち、ひとりひとりはすごくちっぽけなのに、その人生が積み重なって地球を汚してしまった。だったら、大それた身を犠牲にするようなことではなくて、ひとりひとりが毎日の生活の中で、例えば食とかエネルギーのこととか、自然に寄り添う暮らしが増えればいいのかなって思いました。そういう食は、美里(姉)が言うように難しいことじゃなくて、楽しく健康的で幸せのエッセンスなんじゃないかと思います。そんなことを考えていたので、楽しくて好きでやっているのはもちろんですが、「使命感」という感じもあります。ここで生まれて、身近な農村の風景から生き物がいなくなっていくのを見ているので、そういう現状を何とかしたいと思うんです。楽しく自然栽培をしながら。


鴇田美里・美穂:
これからは、みんなが「自然栽培やりたい」って思えるような、実践と経験、そして実績を積んでいきたい。私たちの食や暮らしを「豊かだね」って思ってもらえるように、この価値を多くの方に伝えていけたらと思っています。

鴇田美里 (ときた みさと)
昭和61年、宮城県仙台市泉区の泉ヶ岳のふもと生まれ
宮城県泉高校卒業後、仙台リハビリテーション専門学校入学
理学療法士として財団法人竹田綜合病院入社
平成23年、帰郷し、仙台ペインクリニック入社、米と野菜づくりを始める。
家族でNPO法人木村秋則自然栽培に学ぶ会に入り、
加美町の長沼さん伊藤さにご指導をいただく。
平成24年泉ヶ岳ふもとすずめ農園として活動を始める。

鴇田美穂 (ときた みほ)
昭和和61年、宮城県仙台市泉区の泉ヶ岳のふもと生まれ
仙台高等学校卒業後、弘前大学農学生命科学部入学
大学卒業後、医療機器製造会社に入社。
現場の微生物管理・検査を中心に行う。
社会人3年を経て、平成24年4月に帰郷&就農。
平成24年泉ヶ岳ふもとすずめ農園として活動を始める。